「俺物語」を読んで「百日祝い」の写真がすごく大事なのはわかったのだが、僕はこの手の写真を撮られたことがない。 七五三などの写真を撮影するスタジオ に関わっているのだが、自分の経験のなさに辟易としている。

こういった記念写真の経験がない、というのも宗教上の理由もあったのだが、ぼく個人としても写真を撮られるといった行為が好きではなかったからというのもある。 しかし、記念となる写真はぜひとも撮っておいたほうがいい、という結論に達した。

以下のような理由がある。

  • 過去を振り返る時、その時の気分が蘇る
  • 友達及び彼女といった方々から写真を見てもらうことによって話が膨らむことがある
  • 写真を撮影する、といった行為から親の愛情を感じることができる

この中で一番大事なのは、親の愛情を感じることができる、といったことだと個人的に思っている。

親からの記念写真が残っていない、ということはすなわち、過去の自分に対して愛情表現を得ることができなかったのではないか、といった勘ぐりも働く上、他者との比較をすることから貴重な経験を奪われていた、といった感想をも持つことにもなる。 これらのことを考えてみれば、七五三だけでなく百日祝い、お宮参りの写真の撮影などはしないよりもしたほうが記念的な意味合いではなく、愛情の受け口的な意味合いで非常に好ましいことがわかる。

写真を撮らなくても記憶に残ったほうがいい、と思っている人もいるだろうがそれは大いに間違えである。というのも人の記憶は残りにくいものな上、それらの記憶は平気に嘘を残してしまう。

親からの愛情は写真という形で残っていることのほうが素晴らしい。 写真館での撮影でなくても、最近のスマホで写真を撮って残し、そしてそれらを後々にも残るクラウドにアップして残していくことのほうがよい。親からの愛情を感じさせることができるのであれば、それくらいの手間をしたほうが子供も安心できるとは思う。 僕は写真を残さなかったことを悔やんでいるし、この時代の人間ではなかったことも残念に思っている。 しかし、これからの子供たちにはそういった写真や動画などを親たちが残していく必要がある、と個人的に思っている。