CentOS 6 で nginx にて TLSv1.3 にする。(とにかく tar.gz を使って yum で動かしたときのメモ)

対象となるのはすでに nginx をインストールしている方だと思います。 あと、自己責任でお願いします。 (1)ビルドするためのツールをインストール $ sudo yum install gcc pcre-devel perl zlib-devel (2)OpenSSL のダウンロード(2019/10/06現在のOpenSSLの最新版は1.1.1d) $ cd /usr/local/src/ $ sudo curl -O https://www.openssl.org/source/openssl-1.1.1d.tar.gz $ sudo tar fxz openssl-1.1.1d.tar.gz (3)nginx のダウンロードとインストール(2019/10/06現在のnginxの最新版は1.16.1) $ sudo curl -O https://nginx.org/download/nginx-1.16.1.tar.gz $ sudo tar fxz nginx-1.16.1.tar.gz $ cd nginx-1.16.1 # 下のconfigure は自分の設定しているものを突っ込んでください。 # 今現在 nginx を使っているなら $ nginx -V で確認することができます。 # ただし、--with-openssl の値は /usr/local/src/openssl-1.1.1d にしてください。 $ sudo ./configure --with-http_ssl_module --with-openssl=/usr/local/src/openssl-1.1.1d --add-module=/root/./incubator-pagespeed-ngx-latest-stable --with-cc=/opt/rh/devtoolset-2/root/usr/bin/gcc --with-http_ssl_module --with-http_stub_status_module --with-http_realip_module --with-http_addition_module --without-http_userid_module --without-mail_pop3_module --without-mail_imap_module --without-mail_smtp_module --with-http_v2_module --with-http_gzip_static_module --with-http_gunzip_module --with-mail_ssl_module $ sudo make $ sudo make install (4) ...

gulp4(2019)でつまづいたこと

gulp v.4(2019年)でつまづいてしまったことリストの忘備録を残しておく。 (1)watchのタスクが動かない 【解決策】 gulp.watch('src/scss/**/*.scss',['sass']); // gulp 3 の記法 ↓ gulp.watch(['src/scss/**/*.scss'], gulp.parallel('sass')); // gulp 4 の記法 gulp 3 では、watchはただ単に[‘sass’]のように指定すればよかったのだが、gulp 4からは gulp.parallel(‘sass’))のような記法が必要となった。 並行処理が不要であれば、gulp.series(‘sass’)や、gulp.task(‘sass’)でも良いらしいが、並行処理ができるならばgulp.parallel(‘sass’)のほうが好ましいらしい。 (2)watchのタスクが止まる gulp 3 の書き方では特にコールバック的なreturnは不要だったが、エラーを返さないなりのものに対する自作関数に対してもreturnを入れなければならないようだ(仮定) 例えば以下のようなgulpファイルの構文があるとする。 gulp.task('sass',function(){ gulp.src(['src/scss/**/*.scss']) .pipe(sass()) .pipe(plumber({ handleError: function (err) { console.log(err); this.emit('end'); } })) .pipe(autoPrefixer()) .pipe(cssComb()) .pipe(cmq({log:true})) .pipe(concat('main.css')) .pipe(gulp.dest('dist/css')) .pipe(rename({ suffix: '.min' })) .pipe(cleanCss()) .pipe(gulp.dest('dist/css')) }); これではいくらwatchで’sass’を指定してもエラーで止まってしまう。 なので以下のように追加修正してみる。 gulp.task('sass',function(){ return gulp.src(['src/scss/**/*.scss']) .pipe( sass({ outputStyle: "expanded" }) .on("error", sass.logError) ) .pipe(plumber({ handleError: function (err) { console.log(err); this.emit('end'); } })) .pipe(autoPrefixer()) .pipe(cssComb()) .pipe(cmq({log:true})) .pipe(concat('main.css')) .pipe(gulp.dest('dist/css')) .pipe(rename({ suffix: '.min' })) .pipe(cleanCss()) .pipe(gulp.dest('dist/css')) }); 見ての通り、関数に対してreturnを追加していたり、sassに対しては**({outputStyle: “expanded”}).on(“error”,sass.logError)**などを追加している。 こうするとwatchが止まらないで続けてファイル監視をしてくれるようになった。 ...

安堵してひょっとして衝動買い

[asin:B008IBJ8RO:detail]

速習 Webpack シリーズ babel ページの正誤表

速習 Webpack シリーズにある babel の項目が古くなっていたで、正誤表というか最新版(2019/03/22版)を解説してみる。 第三者の僕が書くのも申し訳ないと思うけど……。 Babel 誤)npm install --save-dev webpack webpack-cli babel-core babel-loader babel-preset-env ↓ 正)npm install --save-dev webpack webpack-cli @babel/core babel-loader @babel/preset-env 誤) (略) use: [ { // ローダー名を設定 loader: 'babel-loader', options: { // 1. プリセットの設定 presets: [ [ // ES2015以降のコードを変換 'env', // モジュール構文の変換を無効 {'modules': false} ] ] } } ], (略) ↓ 正) (略) use: [ { // ローダー名を設定 loader: 'babel-loader', options: { // 1. プリセットの設定 presets: [ [ // ES2015以降のコードを変換 '@babel/preset-env', // モジュール構文の変換を無効 {'modules': false} ] ] } } ], Babel + ESLint のページを実行するためのパッケージ 残念ながら Babel + ESLint のページの解説が雑だったので動かすために以下のパッケージを入れる。 ...

ExtractTextPlugin は使えないから mini-css-extract-plugin を使おう(ワイメモ)

CSS のための Webpack 設定 一部情報が古かったり嘘だったりするので2018/09/19現在のメモ。 npm i -D webpack webpack-cli css-loader node-sass sass-loader postcss-loader autoprefilxer mini-css-extract-plugin optimize-css-assets-webpack-plugin なんかいらないのも入っていていもキにしない。 { "devDependencies": { "autoprefixer": "^9.1.5", "css-loader": "^1.0.0", "mini-css-extract-plugin": "^0.4.3", "node-sass": "^4.9.3", "optimize-css-assets-webpack-plugin": "^5.0.1", "postcss-loader": "^3.0.0", "sass-loader": "^7.1.0", "webpack": "^4.19.1", "webpack-cli": "^3.1.0" } } const UglifyJsPlugin = require("uglifyjs-webpack-plugin"); const MiniCssExtractPlugin = require("mini-css-extract-plugin"); const OptimizeCSSAssetsPlugin = require("optimize-css-assets-webpack-plugin"); module.exports = { optimization: { minimizer: [ new UglifyJsPlugin({ cache: true, parallel: true, sourceMap: true }), new OptimizeCSSAssetsPlugin({}) ] }, plugins: [ new MiniCssExtractPlugin({ filename: 'style.css' }) ], mode: 'production', devtool: 'source-map', module: { rules: [ { test: /\.scss/, use: [ MiniCssExtractPlugin.loader, { loader: 'css-loader', options: { url: false, sourceMap: true, minimize: true, importLoaders: 2 }, }, { loader: 'postcss-loader', options: { ident: 'postcss', sourceMap: true, plugins: [ require('autoprefixer')({grid: true}) ] }, }, { loader: 'sass-loader', options: { sourceMap: true, } } ], }, ], }, };

iPhone XS を買わない理由を考えてみた

新製品である iPhone XS を買わない理由を考えてみたけど、あまり実用性が無い気はしてきた。 内容は次の通り。 高い 個人的には「(毎日使うものなのに、状況によりパソコンより長時間触るものなのに)高いか?」だが、これら最新のガジェットを欲しい人でお金がない人からみれば高い。 ローンで買う人で考えてみると、家賃が毎月1万円プラスα増える計算になるとなると、たかが携帯端末に踊らされることを踏まえてそこまでお金を持っていない人が買うべきものなのだろうか? さらに、高いという認識があるならばそのお金を別の方向に使う方がいい場合もある。 追加していうならば、来年にはどうせ新しい iPhone が出て欲しがってしまう自分がいるなら、ローンで買ってしまうなら月々の支払いは減ることは決してないだろう。 高いなら、自分にその金額分の投資を行う この場合、投資というのは語学の勉強だったりプログラム言語の学習だったりと様々なものを浮かべてみればいい。 高いと思ったこの金額は将来自分に何かしらのレバレッジをかけてくれることになり、iPhone XS なんか買える金額分以上の収益をもたらしてくれるかもしれない。 それなら、iPhone XS は無駄に高い買い物だと言える。 将来得られる金銭という自由の放棄に使うくらいなら、買わないほうがいい。 高いなら、知人にその金額分のプレゼントを行う これははっきり言ってリターンを求めるものではない。 人に何かしらお金を使うと、自分に幸福感を与えてくれる 。 この幸福感を得よう。 横にならえでいいのか? ジョブズも言っていたことだが、“Think Different” の精神は元来みんなと同じであれ、という内容ではなかった気がする。またジョブズは“Stay Hungry, Stay Foolish.”とも言っていた。 みんなが iPhone を使っているから自分も、という日本人の悪い面(?)的な生き方はジョブズは嫌ってはいなかっただろうか? 個人的には iPhone の思想は好きだが、なにも Apple に傾倒する必要はあるだろうか? 精錬されたプロダクトデザインは感嘆に値するが、感嘆するのはおそらく最初の数ヶ月、いや数日で飽きるのではないだろうか? 自分は飽き性だという認識を持てるなら、その自覚を大事にして自己投資的ななにかに時間を使ったほうが良くないか? 僕は別段 iPhone XS は買うな、といっているわけではない。買える人や買いたい人は買ったほうがいい進化されたガジェットだ。じっさい今の僕も買うだろう。 ただ、お金も持たなかった過去の僕、右へ倣えの生き方をしてほしくない僕が目の前にいたなら『買うな』と断言できる。 ツールは進化していき、そしてそれには際限がない。際限をガジェットなんかに求めてしまっては本末転倒な生き方になる。それなら自分でなにかそのガジェットを使った何かしらの提供者でいたほうがいい。 9/16追記 そもそも 5G に対応していない 肝心のことを書くのを忘れていたが、次の規格の5Gに対応していない。 現在は 4G で速度的には問題ないが、細かな点に関しては現在議論されいる最中だ。 こればかりは天下の Apple でもどうしようもない。というのもまだこの規格は世界中でも統一されておらず、オレオレ規格にしてしまうと非常に世界中を混乱させてしまううえ、国際的に考えてもメリットはあまりない。 ということで iPhone を買うときはこの規格が定まったとき、という場合にしても遅くはない気もするが、お金があって余裕があるなら iPhone XS なり買うには超したことがない。

他者及び愛したい人の愛し方について

人の愛し方について 端的にいうとこういうこと。 自分の愛されたい方向で人を愛するな 物理及びサービスの提供者であるな ありのままの自分でいてくれることを許してくれる人とともにあれ DV(物理はもちろん精神も含めて)は論外 自分の愛されたい方向で人を愛することの害について 人の愛し方は愛されたい方向性と酷似している。 人は愛されたい方向性があり、そして、その方向性に伴った愛し方をすることは比較的得意だが、他人はそもそもその愛され方に慣れているとは限らない。過剰・過度の愛し方に慣れているのであれば自分の持っているいわゆるエホバの証人的自己犠牲の愛し方は有りだろう。 だがしかし、それは相手がもしそれを求めているのであれば、自分は将来的に疲弊してゆき、後々自分の存在について非常な疑問を抱くことになる。すなわち自己犠牲有りきで人を愛するということは自分の存在を皆無なものありきであって、愛されることには一切つながらない。 愛することは自分の愛されたい方向とは決して異なる。 愛したい相手がエホバの証人であればそれはある程度トレースできる生き方ではあるであろう。しかし、相手がエホバの証人時代でいう「この世の人」という人たちであれば、エホバの証人時代の愛し方すなわち自己犠牲的な愛し方は気持ち悪いものである。心理学者アルフレッド・アドラーの言っていたゲッターという人たちであれば、それは大好物な方たちではあるが、それらの人たちは自分の愛し方を利用する人たちすなわちあなたは利用されては棄てられるツールのひとつと化す。 そういった利用される立場になりたい人であればいいが、そんな生き方は正直いって唾棄すべき生存方法である。 物理及びサービスの提供者であるな 人は物を受け取ったりサービスを施されたりすることによって、提供者は自分の価値を高めることがままある。だが、それは自分の存在価値を放棄しており、物およびサービスありきの自己実存でしか過ぎない。 愛することはそれら物及び快楽の提供では一切ない。 自分が自分で居ていい理由を相手が与えてくれるものである。 ものでしか相手を喜ばすことができないのは自分がその程度もしくは、相手がその程度の悲しい存在である、ということである。 ありのままの自分でいてくれることを許してくれる人とともにあれ 今、あなたが奇声を上げたとしよう、その際あなたをパートナーである人はどのように反応するだろうか? 憤る 怒る 否定する もし上記の方であれば愛されていない証拠ではある。 奇声を上げても相手が驚いて心配してくれるのであれば愛されていることになる。あなたは信頼口座を十分に得ている証拠でもあり、そしてそれはあなたを思いやっている事象でもある。 本当の愛は相手がどうなろうとも受け入れてくれる。相手を承認できる存在で有り続けてくれる。そんな人に好かれよう。 DV(物理はもちろん精神も含めて)は論外 ことにエホバの証人二世は、物理的な虐待はもちろん精神的な虐待に対する耐性はそれなりに備えられている。だがそれは自分を将来的に精神をすり減らせる材料にしかほかならない。 厳密にいえば、日本のエホバの証人は二重の苦しみを受けている。それは 罪の意識 恥の意識 の両方が介在している生き方を強いられてきた。 罪の意識は聖書及びキリスト教世界から入れられたものであり、恥の意識は日本固有のもので、それを得る(恥をかく)と人として否定される生き方だ。僕たちエホバの証人二世は罪と恥の概念を刷り込まれそれを強く意識させられ生きてきた。 でも考えて欲しい。 元エホバの証人であれば、罪の意識なんて持たなくてもいいじゃないか。 さらにいえば、恥の恥の概念はそもそも必要だろうか。 それらの意識は過剰に自己のエセ高みに委ねた生き方であって、本来の自分とは一切関係のない、いわゆる他者が形成させていた弱さを隠すための概念でしか過ぎないのではないか? 人は弱いし恥を隠し間違いもするし罪も犯す。しかしそれらは自分を高めそして強くしていく。 強くしていく材料を自ずと放棄する必要なんてあるだろうか? 確かに他者に対して傷をつけてはいけないけど、自分を傷つける行為すなわち転んで立ち上がっていく行為に意味はない、と果たしていえるだろうか。 ころんだ数だけ早く確実に立ち上がれただろう。 どんどん失敗して転んでいけばいい。 立ち上がれるなら、それが強さだ。 話がそれて申し訳なかったが、人を傷つける行為に対しては自分を傷つける行為にしかならないので端折ってしまった。 自分を大事にしたいのであれば、エホバの証人二世であれば、肉体的精神的な他者への虐待は意味をなさないことを重々承知しているだろうからなにもいわなくても理解しているだろう。 愛し方が相手にハマった時の満足感 人の愛し方を自分なりの形で学んだ時、そして自分の愛し方を相手が受け入れてくれた時、その喜びは半端なく嬉しい。 それはとても自分を嬉しい思いだけでなく、自分の必要性について理解できることになる。 愛され方を理解する前に愛し方を理解することはとても難しいかもしれないが、人はそもそも愛し方なんて最初からわかっていないものである。 ましてやエホバの証人二世なんて聖書マニュアル及びものみの塔聖書冊子協会的愛され方しかわかっていない。そんな愛し方は一蹴してしまえ、と僕は断言する。 娘息子じゃない限り、自己犠牲的な愛し方でしか自分を愛してくれない人は本当はいらない。 自分の愛の形を受け入れてくれる人を、頑張らない形で愛しつくそう。

2018年08月の自省

2018/09/01更新 8月度の反省点について個人的なメモ。 あえて公言することで自分を追い詰める効果を期待している。 (反省 1)上から目線的な発言が多かった 理由 何かしら(twitter などの SNS か)が原因で自己の肥大化が見られたのかも。 買い物などで気が大きくなり過ぎた可能性も。 いろいろと成功体験が多かった。 他者との接点が多く、それに伴いテンションが上がった。 解決策 twitter などの SNS の利用を極力控える。 買い物しすぎないように家計簿的なものを付ける。 ・スマホなどのアプリで気軽に記入できるものを利用する。←(2018/09/01)初日から「ZAIM」というアプリは全然使えなかったので、今は「家計簿・簡単お小遣い帳」という CVS 出力も可能で支出の入力も楽なアプリを使っている。 ・購入後、すぐに記載する習慣を身につける。日々の出費を可視化する。 ・状況によりグラフ化する。 ・結果的に要らなかった物およびサービスなどの金額を知る。 ・貯蓄額を増やす。 成功体験を避けるのは本末転倒なので、成功した際には次の成功につなげるため何ができるか考える。 他者との接点を避けるのも論外。接した際にはテンションを上げるための会話をするのではなく、相手を観察して何を望んでいるかどうかを知る。 (反省 2)スマホのいじりすぎ問題 解決策 スマホを触らないように意識する。 ・物理的に使えないよう何かしらの手段を講じる(金庫に格納など)。 ・ルーターの電源を切る。←(2018/09/01)同居人の都合上無理。物理レイヤで何かしら手段を講じる必要がある。 必要以上に SNS をしない。 情報収集は時間を決めて行う(1〜2時間など)。←(いまだに時間は決められずにいる) スマホを触るくらいなら英語の勉強もしくはスキルアップの時間に変換する。 成功したこと 某サイトのアクセス数を 5,000% 向上させた。 過去に行った仕事を評価されたことから次の仕事につなげることができた。 某ビッグワードで 1位を獲得することができた。 成長したこと 勉強できる様になり、知ることの楽しみを体験することができた。また、新しい技術を知ることは楽しいことを理解した。 我を押し通すことなく、それなりに対人でスルー力を実践できた。 SEO に関する知識を向上させ、それを実践することができた。 より成長するために 慢心することなく成長している自分を顧み、より高みを目指す。 人の仕草などから相手の心をより一層読むことができるスキルを身につける。 → 心理学だけじゃなく実際いろんな人と出会い、そして知り、相手のニーズを汲み取るスキルを100%に近づける。 ブラックハットSEOは論外として、なにか人及びロボットに優しい SEO を施すことができるかを考える。 無駄に意識を高くする必要はない。等身大の自分を認識して、知ることの楽しさを継続させる・新しいことを知ることを進んで実行する。

 · himenaotaro

「お使いのサーバーの PHP では WordPress に必要な MySQL 拡張を利用できないようです。」on nginx + MariaDB + php.fpm

お使いのサーバーの PHP では WordPress に必要な MySQL 拡張を利用できないようです。 だいたい他のサイトで解説されているので省くけど、それらのサイトで言及していないものはだいたい以下のケース。 MySQL じゃなくて MariaDB の設定問題 解決策は略 MySQL の機能拡張の yum でのインストール、php.ini の設定はキチンとしている。それを適応させるために nginx の再起動ばかりしている ← ☓間違い php.fpm の再起動をする ← ○正解 Apache じゃないから php.fpm の再起動をする、という概念がない人がままいる気がする。 CentOS 7 sudo systemctl restart php-fpm CentOS 6 service php-fpm restart

七五三の写真撮影について

「俺物語」を読んで「百日祝い」の写真がすごく大事なのはわかったのだが、僕はこの手の写真を撮られたことがない。 七五三などの写真を撮影するスタジオ に関わっているのだが、自分の経験のなさに辟易としている。 こういった記念写真の経験がない、というのも宗教上の理由もあったのだが、ぼく個人としても写真を撮られるといった行為が好きではなかったからというのもある。 しかし、記念となる写真はぜひとも撮っておいたほうがいい、という結論に達した。 以下のような理由がある。 過去を振り返る時、その時の気分が蘇る 友達及び彼女といった方々から写真を見てもらうことによって話が膨らむことがある 写真を撮影する、といった行為から親の愛情を感じることができる この中で一番大事なのは、親の愛情を感じることができる、といったことだと個人的に思っている。 親からの記念写真が残っていない、ということはすなわち、過去の自分に対して愛情表現を得ることができなかったのではないか、といった勘ぐりも働く上、他者との比較をすることから貴重な経験を奪われていた、といった感想をも持つことにもなる。 これらのことを考えてみれば、七五三だけでなく百日祝い、お宮参りの写真の撮影などはしないよりもしたほうが記念的な意味合いではなく、愛情の受け口的な意味合いで非常に好ましいことがわかる。 写真を撮らなくても記憶に残ったほうがいい、と思っている人もいるだろうがそれは大いに間違えである。というのも人の記憶は残りにくいものな上、それらの記憶は平気に嘘を残してしまう。 親からの愛情は写真という形で残っていることのほうが素晴らしい。 写真館での撮影でなくても、最近のスマホで写真を撮って残し、そしてそれらを後々にも残るクラウドにアップして残していくことのほうがよい。親からの愛情を感じさせることができるのであれば、それくらいの手間をしたほうが子供も安心できるとは思う。 僕は写真を残さなかったことを悔やんでいるし、この時代の人間ではなかったことも残念に思っている。 しかし、これからの子供たちにはそういった写真や動画などを親たちが残していく必要がある、と個人的に思っている。